
Beethoven Symphony No.9 "Choral"
Arvid Jansons
Rundfunk-Symphnieorchester Berlin
Rundfunkchor Berlin
WEITBLICK (SSS0082-2)
コンセルトヘボウ管とバイエルン放送響という世界に名だたる名門オケ二つを手中に収めた、今をときめくマリス・ヤンソンス。これはその父上のアルヴィド・ヤンソンスの演奏です。アルヴィド・ヤンソンスは以前Altusから出ていた来日ライブの演奏を試聴で聴いたくらいで、特にシンパシーはありませんでしたが、この演奏はベストに推す人がいてもおかしくない、とてつもなく素晴らしい演奏で、少なくとも私の中では現在のベストの中の一つの演奏になりました。次回に紹介予定のザンデルリンクと共に、今年の年末を飾るのに相応しい第九ではないでしょうか。
この演奏は歓喜よりも敬虔、まるで宗教曲を聴いているような感覚に捕われるほどの厳粛な演奏です。音のドラマよりも音の持つ意味に重きが置かれています。決して浮つかず、焦らず、一音一音踏みしめるように全ての音に潔浄の意思を通わせています。音のドラマはなくとも意味深さと格調の高さがあり、聴いて熱くなるというより背筋がピンと伸びるような、独特の緊張感があります。こんな不浄で崇高な第九は初めてではないでしょうか。
一楽章からゆっくりとしたテンポでインテンポ気味、ダイナミクス・レンジもそれほど広くなく、奇を衒らわず粛々と音楽が進みます。しかし、スケールは極大、響きは透明で厳しく、聴いていて軽い恐怖さえ感じます。漆黒の宇宙空間に放り込まれそうな恐怖!特にコーダ冒頭の激しく鳴らさないのにじわじわと迫ってくる弦の恐ろしい響き!もう息が出来ないほど震えてしまいます。音のドラマがないのにこれだけの説得力があるとは!なんと深く厳しい音楽!第九の楽章の中で最も完成度の高いのはこの一楽章であることは疑いがないのですが、その理想形を示してしていると言って過言ではありません。
二楽章も音楽が高揚しても決して上滑りしません。着実な足取りで音楽は深さを増しています。トリオでも表情は明るくならず、常に沈鬱でどうしようもない寂寥感が漂っています。
一楽章と共に白眉なのが三楽章。なんと優しく美しいアダージョ!その優しさは人間界を超越しており、その視座は他の演奏よりもより高い位置にあります。冒頭の弦の入りのなんという繊細さと優しさ!弦が優しく第一主題を奏でるとき、体がふっと溶けてしまうような感じがします。もうその優しさに涙が止まりません。第二主題導入のベースの深々とした響きには体が吸い込まれそうになります。トランペットによる警告音の後の喋るような低弦など、こんな凄い表現は聴いたことがありません。フルトヴェングラーでさえ、これほどの表現はしていなかったのではないでしょうか。
四楽章は祝典的雰囲気は減退し、厳かに進みます。人々と悦びを分かち合うのではなく、神を恐れ、敬い、対峙する人間の音楽なのです。元々この楽章は突然変異的存在で、曲の構成的にも無理があり、前の三楽章と強引に繋げた感があるのですが、この解釈はそういう意味で前の三楽章からのつながりがスムーズに行っています。音のドラマはないものの、実に立派で厳しく美しい。私の大好きな管弦楽だけの歓喜主題提示の部分など、彫りの深さは無いものの非常に高潔で感動的です。アレグロ・アッサイ・ヴィヴァーチェの後からアレグロ・エネルギーコ(二重フーガ)の前までなど、この曲が第九ではなくミサ・ソレムニスではないかと思うほど、透明で美しく、祈りに満ちた信じられない音楽が展開されます。コーダなど決して全力ではなく、音楽はびっくりするほど粛々と進むのですが、実に格調高くこの曲を締めくくるのに何の不足もありません。
通常概念にあるドラマティックで祝典的盛り上がりがある演奏になれた耳には、この演奏を受け入れるのに時間がかかるかもしれません。ですが目を閉じて心を空虚にしてじっとその音楽と対峙してください。その無類の崇高さがかけがえのないものになるのは間違いないでしょう。
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