
Haydn Symphony No.104 "London"
Sergiu Celibidache
Münchener Philharmoniker
EMI CLASSICS (7243 5 56518 2 2)
ここ数日珍しく五月晴れが続いている。今年の五月はもう梅雨に突入したかのように雨が多かったが、久しぶりにカラッと晴れるととても気持ちいい。布団も久しぶりに干せた。こういう日はハイドンがいい。でも湿度が高めなので、演奏も少ししっとりしたものを。
以前エントリした通り、私はチェリビダッケのハイドンを高く評価している。下手すると世評の高いブルックナーよりも、相性が良かったのではないだろうかと思うことすらある。しかしながら、私の中のハイドン演奏の理想系はシューリヒトで、現代オケを朗々と鳴らし、空を駆けながら良く歌うスタイルがこの上なく好きだ。それに「ロンドン」というと、シューリヒトとフランス国立管との唯一無二の名演があるため、初めてチェリの「ロンドン」を聴いたときにはいまいちピンと来なかった。推進力に欠け、天を飛翔してくれなかったからである。そして数回聴いてお蔵入りしてしまった。しばらくして久しぶりに聴き返したときに、はっとした。こんなに美しい演奏だったんだ!実にしっとりしていて、非常に美しい。ユーモアに欠けるかもしれないが、そのかわりモーツァルトかと思わせる程、気品のある湿度がある。また、「オックスフォード」と同様、テンポが不自然で恣意的だと感じることはなく、自然にハイドンの音楽に身を浸すことができる。そして、ミュンヘン・フィルの機能性も鼻につかない。もしかしたら、チェリはハイドンなどの古典派の音楽に対し、古典の枠に収めようとする「理性」が働くので、ロマン派の音楽のようにやりすぎず、古典の枠を少しはみ出した名演が生まれるのかもしれない。
一楽章の序奏は遅いテンポながら過度に重々しくなることなく、響きが美しい。そしてどこか神秘的だ。主部への入りの美しさは、夜が明けて空が明るくなってくるようだ。なんと美しい第一主題!。フォルテになってからも推進力に富んでいるわけではないが、緊張感が持続し、常に音に生命力がある。そして何より響きが美しい。一音一音全て美しく、乱暴なハイドン演奏にありがちな汚い音は一つもない。
白眉は二楽章。モーツァルトの緩徐楽章のようだ。美しい、とにかく美しい。雪の降り始めのように、ぽつりぽつりと空から音が舞ってくるようだ。ハイドンの音楽であることを忘れてしまう。音の消え方の繊細さは、チェリにしかできない芸当ではないだろうか。
三楽章はテンポは遅いものの、音楽が停滞せず、ちゃんとメヌエットに聞こえる。美しいのはトリオ!オーボエのなんと気品があること。高貴な貴族的な香りすらする。トリオの終わり方など、とてもハイドンの音楽とは思えない。
四楽章は勢いで聴かせるような演奏ではなく、響きの美しさと音の充実度で聴かせてくれる演奏である。四楽章がこんなに美しいと思ったのは初めてだ。
チェリビダッケがせめてロンドン・セットだけでも全て録音してくれたら、どんなに素晴らしかっただろう。「軍隊」などではどんな名演を繰り広げてくれるのだろうと、妄想をしている。
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