
Mahler Symphony No.6
Bernard Haitink
Orchestre National de France
naïve (V 4937)
「悲劇的」の演奏史上だけでなく、マーラーの演奏史上でも特筆大書すべき演奏が、廃盤の憂き目に遭っているので、店頭から姿を消す前にエントリーしようと思います。
人間の視点でどんなに不浄と感じる物質でも、純度を上げ結晶化すれば、それは「美しい」と感じるものに変貌します。音楽の中の人間の負の感情も不純物を取り除き、結晶化すれば美しい音楽になるのではないでしょうか。この演奏にバーンスタインやテンシュテットのような情念の発露は一切無く、マーラーの描いた負の感情は美しく結晶化され、ただただ音楽の美しさが迫ってくる稀有な名演です。いったい「悲劇的」はこれほどまでに美しい曲だったろうか!
ハイティンクらしい緻密なスコアの読みで、細部まで実に丁寧に描かれており、楽器のバランス、テンポ、アンサンブルは常に完璧。全く強引に鳴らさないのに、音楽は常に豊かに鳴り、ダイナミズムも申し分ない。またフランス国立管の明るめの淡い色彩を伴った透明な音色が素晴らしく、コンセルトヘボウ管のような音の濃密さのかわりに、爽やかな風が吹き抜けるような清々しさがあります。これはベルリン・フィルのようなヴィルトオーゾ・オケには無い魅力ではないでしょうか。事実、ハイティンクの深化もあるのでしょうが、ベルリン・フィルとの演奏よりも遥かに素晴らしい音響空間が広がります。
一楽章冒頭、低弦のリズムの刻みから決して焦らず強引に鳴らさず美しく響かせます。この時点ですでに数多の演奏とは次元が違います。第二主題が始まってからの視界が開けるような美しさは絶品で、これほどまでに美しく響いた例を他に知りません。コーダでの大音響も決して濁らず、熱さはありながら透明感を維持しています。一楽章はもっとグロテスクな音楽ではなかったか。
二楽章は暴力的にならずに常に美しく響きます。特に低音の深さは比類なきものです。
三楽章は信じられないくらい美しい!軽い眩暈を覚えるほどの美しさ!ここには現世的な官能は無く、それを超えたもっと普遍的な美がそこにはあります。それは決して天国的ではなく、もっと不安定な美。音楽の純度が高いため余計にそれが引き立ちます。(10:37)からの気高い哀しみに涙が止まりません。人間界を超えてしまった哀しみのなんという痛切さ!
四楽章はこの楽章を支配する不安定な空気をここまで美しく昇華できるとは信じられません。怪しいまでに透明で深い空間。この透明がもたらす深い音に身を浸すと、情念剥き出しの演奏が、表面的で全く物足りないものに聴こえてしまいます。序奏冒頭はハープとチェレスタによって七色の光が放たれ、怪しく美しい世界が広がりますが、それを大音響が打ち砕きます。再現部のコーダに向かっての高揚感も素晴らしく、全く破綻することなく音楽は頂点を迎え、そして最後の一撃。低弦の不気味な足取りの中、身構えていても簡単に打ち砕かれるほどの重量と衝撃があります。
私はこの演奏でハイティンクのただならぬ深化を感じ取り、それ以来ハイティンクを追いつづけています。ヴァントや朝比奈のように天才肌ではなく、愚直に己の信じる道を進む職人タイプですが、その長年の努力が結実するとき、天才肌の音楽家の音楽を蹴散らしてしまう。私は年を追うごとにこのようなタイプの音楽家に傾倒していっています。
次はこれも廃盤になってしまっているもう一つのハイティンクの大変優れたマーラー演奏、「クリスマスマチネー・ライブ」を紹介します。
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